smily8’s diary

読書好きな小中学生3児母が、育児にちょっと役立つことや、読んでおすすめだった本をシェアさせてもらってます

【本】発達障害の人って何でそんな変わってるの?が分かる本~ヘン子の手紙、読みました

 

 

ヘン子の手紙 (ヒューマンケアブックス)

ヘン子の手紙 (ヒューマンケアブックス)

 

偶然図書館で見つけて借りた本なんだけど、すっごくよかったのでシェアします

 

発達障害当事者:ヘン子ちゃんから、ヘン子ちゃんへ

発達障害当事者著作。人とは違う変な子な自分=「ヘン子」が、

自分への手紙を書くという形式の本。

 

実際に、自分にレポート用紙1冊分の手紙

実際、著書発達障害の二次障害から、鬱を発病して精神科に入院した際、自分に繰り返してレポート用紙1冊分の手紙を書いたことで、自分を見つめ直し、病気を良くしたという経過から書かれた本。

 

健常者必読。

本当に良本!健常者必読!

発達障害の人がどんな感覚で生きていて、なぜ健常者から見て「ヘン子」になってしまうのか、当事者自身の言葉で語ってて、めっちゃ分かりやすい!

 

不安でいっぱいだった幼稚園時代

子供の時から不安でいっぱいだったと著者。

▶保育園から家の都合なのか突然に幼稚園には変わったものの、毎日同じ服を着る、ここの席に着くなどのルーチンが頭に入らず、毎日おどおど。

▶視覚優位で聴覚からの指示もほとんど理解できなかったために、「ほら、そうじゃないでしょ」「なぜ毎日同じことをやってるのにわからないの」と責められても、その意味も理解できず

ただただ毎日不安で、とにかく周りの真似をして誤魔化すことばかり考える幼稚園時代

 

板書が間に合わない、小学校時代

小学校に上がっても苦労は続く

▶聴覚からの情報がほほとんど処理できなかったために、先生の指示がほとんど理解出来ず

▶板書も非常に苦手で、書いているうちにどんどん次に消されていってしまうため、ほとんど書くことができなかったのだという。

▶当然、宿題などの指示も板書聞き取りでも理解できなかったため、毎日何の宿題が出てるのか、明日は何を持ってこなければいけないのかすらわからなかったのだという。

▶ハーモニカは音が出る仕組みや自分の体と口をどう動かせばいいのかが理解できなくて吹けず。保護者に連絡が入って、母親がマンツーマンで教えるが、全くできなくて怒られるが、なぜ怒られてるのかわからない。・゚・٩(。>д<。)۶・゚・。

▶同じく運動も、自分の手足をどう動かせばいいのかが分からず からきしダメ

▶クラスメイトや先生達の顔や名前が覚えられない。覚えたところでクラス替えして、リセット(>_<)

▶空気も読めないため、周囲との関係が築けない自分では全くそのつもりはないのに怒らせることを言ってしまう。

自分は黙っていた方がいい→消えてしまった方がいい⇒要らない人間だ➡死んだほうがいい、もう消えたい に気持ちが変化

 

看護学校進学も退学なってしまった学生時代

「手に職をつけたほうがいい」、という母親の

鶴の一声で看護学校に進学

▶寮生活を始め、本人なりに勉強に励手応えを掴んでいた1年生

▶しかし、2年生になり部屋が変わったりという環境の変化についていけずパニック。

実習のストレスも重なり、ある日学校に行けなくなってしまい、あえなく退学…

 

育てにくい子供の育児に鬱発症する主婦時代

その後、アルバイトを経てご主人と出会い♥結婚♥

広島から姫路に移り住み、専業主婦として奮闘するが、環境の変化に戸惑って鬱。

▶なんとか克服して、お子さんを授かるが、お子さん2人とも、育てづらさがあり、育児にも翻弄。

▶鬱を再発して寝たきりに近くなり、遠方実家の母の助けを借りたりしていたが、それもままならなくなり、子供と著者のみ広島の実家に帰って遠距離の夫婦生活

▶続けるうちに夫婦生活もこじれて、度々出ていた自殺願望が再燃。二次障害から入院

 

ただ死にたいばかり願っていたという入院生活だったが、

入院中、自分に手紙を書くという治療をしたことをしたきっかけに

自分を見つめ直すという作業が始まり、

レポート用紙1冊ほどに「自分への手紙」を書いたことがきっかけとなり、少しずつ病気が改善

▶未だ病は抱え周囲のサポートを得ながらも、家族4人でまた暮らせるように

 

当事者は変なことに気がつかない

通常発達障害の当事者はその世界の中で生きていて、

当然ながら健常者の感覚を持たない

だから、自分がなぜ変と周囲から言われるのか、

なぜ自分には周囲の人ができていることが出来ないのか分からない。

 

また、他の人の感覚と自分の感覚が違うことも

発達障害の当事者にはなかなかわからない。

▶障害特性から、なかなか周囲が見えずらい人が多いから尚更。

だから自分の言葉で、健常者と自分はどう違うのか語るって、

すごくすごく難しい。

 

ADHDの自分とも重なる

私自身、ADHDがあって、特に子供の時ものすごく生きづらかった。

▶同じく、毎日毎日忘れ物・・・。きつく叱られて、自尊心↓↓

今度こそと思うのに、また忘れる毎日。

▶なぜ自分が毎日忘れ物をしてしまうのか、先生や周囲から「落ち着きがない」って言われるけど、それはなぜなのか、そもそも自分は本当に落ち着きがないのかも分かっていなかった

 

忘れ物をしたり、落ち着きがないのは

親の躾 と 自分の努力不足=人格の問題 

と学校の先生からはよく責められて、

それを見ていた級友たちからは蔑まれた。

 

そんな自分は惨めで、どうしてできないんだろう…と悲しくて

すごく生きづらかった

でも、他の人の感覚は分からなかったので

何故自分は人と違うのか、自分はなぜみんなと同じことができないのか、言語化はおろか、理解もできなくて、苦しい子供時代だった

だから著者とは重なることも多くて読んでいて切ない気持ちになった

 

ただ、自分は

恐らく著者よりも障害が軽かったのか、

変な子と言われながらも看護学校を卒業して

看護師の職を得ることもできた

▶地域の基幹病院に、公務員として15年勤務。循環器の重要薬も、新生児へ微量の薬も管理。「ひとかどの看護師」「公務員」として社会的な地位を確立したことで、本来持っている強み=向学心や探究心 が生きてきて、馬鹿にされることもなくなり、自尊心を回復できた。

それはラッキーだったなとも感じた

 

育てにくいお子さん2人の療育で自分の発達障害にも気づく

著者が自身の発達障害に気がついたのは、お子さん2人の子育てから。

お子さん2人が育てにくく、療育する中で2人とも発達障害があることが分かり、その療育をする中で、自分自身にもその特性が当てはまってることに気がついたという著者

▶この時既に36歳だったという

→私も自分がADHDだったと気づいたとき、すでに40超えていた。

▶障害がわかってホッとした気持ちと、もっと早く気がついてもらって適切なサポートを入れてもらえていたら生きづらさが軽減されたのになぁ、という二つの気持ちがあったというのが本当によくわかる。

▶私自身は生きづらさは抱えていたけれど、もしもADHDだとわかっていたら看護師という仕事に就くことができなかったので(あまりに適性がないと判断されるため)、自分は結果的には良かったのかなという風に思っている

 

まとめ

おそらく健常者には分かりづらい発達障害の人の感覚や感じ方、

生きづらさがすごくわかりやすく書かれているので、健常者は必読。

ADHDで生きづらさ抱えてきた自分も、わかる点たくさんあって 心が痛くなりました。

 

発達障害者、生きづらさを抱えながらも、今日も頑張って生きてます💪💪💪